内山 節
哲学者。
(特非)森づくりフォーラム代表理事、(一社)文化遺産を未来につなぐ森づくり会議代表理事)東京都出身。1970年代より東京と群馬県上野村の二拠点生活。元立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。
『内山節と語る未来社会のデザイン(全3巻)』(農山漁村文化協会・2021)。『修験道という生き方』(共著・新潮社・2019)、『内山節著作集(全15巻)』(農山漁村文化協会・2015)、『いのちの場所』(岩波書店・2015)、『新・幸福論-「近現代」の次に来るもの』(新潮社・2013)、『文明の災禍』(新潮社・2011)、『共同体の基礎理論』(農山漁村文化協会・2010)、『清浄なる精神』(信濃毎日新聞社・2009)、『怯えの時代』(新潮社・2009)、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社・2007)、『「里」という思想』(新潮社・2005) 著書多数 http://www.uthp.net
内山節さんは、自然や労働をめぐって思索を深めていらっしゃいます。そして、私たちの社会は、生者と死者と自然とで成り立っていると論じています。すなわち、私たちは、人間どうしの関係を通して、また死者との関係を通して、そして自然との関係を通して、この社会をつくっているのです。それは、近代の科学が追求してきたように、この世界を構成する何か実体が存在するというのではなく、関係が先にあって、そこから世界が立ち現れてくるという考え方にもとづいています。明治期以降、私たちの社会は、近代的な考え方や制度によって本来のあり方をずいぶんと失ってきてしまいました。しかしながら、いま近代が行き詰まり、伝統回帰が起こりつつあります。第7回では、内山さんの問題提起を受けとめ、未来社会のデザインについて考えたいと思います。
第1回「21世紀はどのような時代にしなければならないのか」を受け、そして最終回「撤退学との対話−もう一軸を立てるために」へと展開するうえで、近代がどういう社会であるのか、何が近代を成立させてきたのか、それに対して、私たちにとって「自然」はどのように経験されているのか、これからの「陽楽の森」の活動を構想するうえで考えておきたいと思います。